酢の歴史
紀元前5000年ごろ
バビロニア(メソポタミア南部―現在のイラクの辺りー)でナツメヤシ、干しぶどうからお酢が造られたという記録が残っています。
紀元前13世紀ごろ
旧約聖書「モーゼ五書」の中にワインの酢が記述されています。「ルツ記」に「ここへ来て、パンを食べあなたの食べるものを酢に浸しなさい」と記述があります。
紀元前1100年ごろ
中国の周の官制(行政機関に関する規制)を記録したものに酢造りの役人がいたことが記述されている。漢方薬としても用いられたとされています。
紀元前400年ごろ
古代ギリシアで、のちに「西欧医学の父」と呼ばれたヒポクラテスが、病気の治療に用いたといわれています。
紀元前51―30年ごろ
古代エジプト(プトレマイオス朝)のクレオパトラが、アントニウスとの賭けで、酢に真珠を入れて溶かして飲んだといわれています。
15世紀〜17世紀前半ごろ
この時代、大航海時代に新鮮な野菜や果物の欠乏が原因の「壊血病(かいけつびょう)」を予防するために、お酢に様々なスパイスや野菜を漬けることが盛んになったといわれています。
400年ごろ
応神天皇のころに、和泉の国(現在の大阪府南部―堺市あたり)に、酒造りの技術と前後して中国から伝わったとされています。
奈良時代 710〜784(794)年
万葉集16巻に「醤(ひしほ)酢(す)に蒜搗(ひるつ)きかてて鯛願ふ・・」(酢醤油でさっぱりと鯛でも食べたいなぁ)と歌が詠まれています。このころお酢は上流社会の高級調味料として、また漢方の一種や薬とされていました。また、この時代宮中などの晩餐の際には、鯛、鯉、鱒、蛸、雉などが単品で皿に盛られ、四種器と称する調味料(醤、酒、酢、塩)を入れた器が添えられていたといわれています。「養老律令」に「造酒司(ざけのつかさ)」が、酒とともに酢を造っていたことが記述されています。
平安時代 794〜1192年
「和名抄(わみょうしょう)」(平安時代の辞書)では、お酢は「苦(から)酒(さけ)」と記載されています。延喜年間(927年)に編纂された「延喜式」の造酒司のところに米酢の造り方が記載されています。 原料の使用割合まで記した最古の記録といわれています。
鎌倉時代 1192〜1333年
調味料が四種器として使われていた卓上型から、調理の際にも用いて使い方が変化していきます。
室町時代 1333〜1573年
「四条流包丁書」(料理書)には、それぞれの魚に合った「合わせ酢」を紹介しています。
江戸時代 1603〜1867年
お酢が味噌、醤油とともに庶民まで普及し、様々な合わせ酢や、それまでの「なれずし」などの「発酵すし」とは異なった、飯にお酢を混ぜて作る「押しずし」などの「早ずし」が広まりました。このころは、米酢が一般的でしたが、1800年代になって、「握りずし」には酒粕から造った「粕酢(かすず)」が使われるようになりました。